現場系譜
年.監督-主将-副将
19.森田-松下-昌弘
米田(ヘッドコーチ)
増井(打撃&守備&走塁コーチ)
鉄川(投手&コンディショニングコーチ)
梶木(捕手コーチ)
18.森田-松下-昌弘
米田(ヘッドコーチ)
増井(打撃&守備&走塁コーチ)
鉄川(投手&コンディショニングコーチ)
梶木(捕手コーチ)
17.森田-祐輝-松下
米田(ヘッドコーチ)
増井(ヘッドコーチ補佐)
17.川邉-祐輝-松下
17.川邉-高畑-祐輝松下
16.川邉-高畑-祐輝松下
16.濱田-晃平-廣瀬松下
川邉(助監督)
15.濱田-晃平-政也
川邉(助監督)
14.濱田-晃平-拓人昌弘高畑
13.濱田- 無 - 無
13.濱田-將史- 無
13.濱田-永井-將史
13.森田-永井-將史
12.森田-永井-將史
11.森田-永井-將史
10.森田-二神-永井
09.森田-二神-永井
09.森田-山崎-二神
08.森田-清水-※田
07.森田-清水-※田
06.森田-清水-※田
05.森田-清水-西村
04.森田-清水-西村
03.森田-森田-西村
02.戸田-森田-西村
01.戸田-森田-西村
00.澤井-島田-堀井
※
2018年8月、梶木が捕手コーチに就任した。
※
2018年4月、鉄川が投手&コンディショニングコーチに就任した。
鉄川の首脳陣入りに伴いコーチの役割分担を明確にするため、
増井がヘッドコーチ補佐から打撃&守備&走塁コーチとなった。
※
2018年1月、祐輝の産休&育休に入るため、松下が十一代目主将に昌弘が副将に就任した。
※
2017年9月、川邉監督の退任に伴い森田が六代目監督に就任した。
森田就任と同時に※田がヘッドコーチ、増井がヘッドコーチ補佐に就任した。
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2017年6月、祐輝が十代目主将に就任した。
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2016年8月、濱田監督の退任に伴い川邉が五代目監督に就任した。
主将には高畑、副将には祐輝と松下が就任した。
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2016年1月、廣瀬と松下が副将に就任した。
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2015年1月、川邉が助監督に就任。拓人が選手会長に政也が副将に就任した。
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2014年5月、晃平が主将に就任。拓人・昌弘・高畑が副将に就任し、Fz史上初の副将三人制となった。
※
2013年9月、將史がメジャー挑戦を表明し電撃移籍することとなったため主将・副将が不在となった。
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2013年5月、永井が就職活動に伴う休団となり、副将の將史が主将に昇進した。
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2013年3月末、10年間の長期に渡ってチームを率いてきた森田監督が、新しいフレンズへと生まれ変わる時が来たと監督を勇退する意志を表明した。後任としてベテラン濱田が、四代目監督に就任した。新生フレンズの躍進に期待が高まる。
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2011年から、チームの若返りを図るため、永井が主将へと昇進し、同世代の將史を副将として新チームを発足した。
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2009年途中、仕事で参加できなくなった山崎が主将の座を返上し、次の全国大会に向けた新チーム発足に合わせて、副将二神が主将に若手から永井が副将に就任した。
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2009年より松坂世代の山崎が主将、二神が副将に就任した。
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2006年一部選手が離脱した責任を取るため、森田が代表兼仁監督の辞意を表明した。しかし森田体制を希望する選手達の熱き要望を受けて、森田は監督再就任を決意する。しかしながら代表権は、けじめとして創始者の一人堀井へと返還されることとなった。
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2006年より戦線を離脱した西村に代わって、新世代のリーダーとして活躍していた鬼※田が副将に就任した。
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2004年より清水が主将に就任した。これに伴い選手を起用する監督の立場と起用される選手の立場が明確に分かれた。
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澤井と戸田は名義を借りただけの幽霊監督であり、実際の監督業務は主将の島田が兼任していた。
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