初試合
当時のメンバー
◎- 7Fz
森田門脇有間堀井板谷
島田中辻
2000/ 6/10
ふれんず初試合
vs 関大アンビリーバブルズ
vs ぶるーす(仮名)
歴史的な初試合の対戦相手は、かつて森田が在籍していた関大アンビリーバブルズにお願いした。後にサンスポ杯やユニブ杯で優勝して勇名を轟かせる関西屈指の強豪チームだ。
そんな強豪チームに試合を申し込んでおきながら、Fzはメンバーが全く足りなかった。それにも関らず幹部の板谷は、洗濯機の安売りに並ぶと言ってドタキャンする前代未聞のトラブルもあった。何とか森田の旧友阪本や門脇島田堀井らがかつて在籍していたクローズから野地丘兄弟に助っ人に来てもらい何とか人数を揃えたのだ。まだユニホームも揃っておらずマナーも知らない失礼極まりない即席チームだった。
板谷「お前らな〜そんなんゆうてくるけどな〜今日買えんかったらいつ買えゆうんや〜!俺は洗濯せなあかんのや〜!お前ら責任取ってくれんのか〜!あ・い・や〜!」(当時の捨て台詞)
そんなこんながあったが何とか無事に試合は始まった。そして結果は日本中の誰もが予想した通りになった。即席チームが鍛え抜かれた関西屈指の強豪チームを相手にまともに戦えるはずもなく大差での惨敗を喫した。
そして試合後、時間が余っていたので隣のグランドで練習していたおじさん達に練習試合を申し込んだ所、あっさり「いいよ。」と承諾してもらいFz史上初のWヘッダーへと発展した。
しかし取って取られてのシーソーゲームの結果、点数が分からなくなったので、なぜか民主的にじゃんけんで勝敗を決める事になった…
そしてあっけなくFzに歴史的な初勝利の瞬間が訪れた!!点数では明らかに負けていたと思うけど…
※
私たちFzは、このチームを探しています。もしお心当たりのある方はご連絡下さい。2000/ 6/10に淀川河川敷で9人ぎりぎりの私服チームと試合をしてくれた青いユニホームを着たおじさん達です。
その後、森田行きつけのJR福島にある石焼地鶏の店「讃」にて決起集会を行い大いに盛り上がった。
しかしその日を最後に助の阪本と野地丘兄弟はFzから姿を消した…
そしてFzのメンバーも夢だけは大きかっただけに、大差での惨敗の精神的ショックが大きく長期活動休止状態になった…
誰もがFzは終わったと思った…
森田「私はアンビリ出身なので、ある程度の実力差は把握しており、惨敗は想定内でしたが、Fzにとっては圧倒的な力の差を感じる惨敗は、相当ショックだったのかも知れません。経験があるFzの主要メンバーのプライドの高さは、私の想像以上でしたね。Fzから野球熱が一気に冷めていくのを感じました。アンビリは最初の相手にしてはちょっと強過ぎましたね。」(2003年新春談)
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